猫を飼え。いいから猫を飼え。
うつできつそうな人を見ると
(ネットでも)
猫を飼え!!いいからとりあえず猫を飼え!!といいたくて
いえるわけでもなく
ここでいってみた。
ご飯食べて寝る。
時々ちゃんと反省して、落ち込まずじっこうする。
猫ってすごい
エロいコト随想
このタイトルにちょっと期待した方ごめんなさい。
書くことはちっともエロくはないです。
一夫多妻制な男の人の出る番組録画らしき動画をyoutubeでみました。
なんでも第三夫人まで嫁がおり、第一夫人以外の二人は養子にしているらしいです。
で、三人を養いみんな仲良く暮らしているとか。
首をかしげるゲスト人の質問に、まぁ演出もあるでしょうがサラサラ答える夫人と夫をみて「しょせんまやかしなエロエロなことにここまで投じれるのはある意味幸せだけど滑稽すぎてなんも面白くないなこの人ら」と思った私です。
結局なんかエロエロなことに情緒を求めるのが面白いわけでね。
ぜんぜん面白くないなぁと。
ほいで、自分が考えてることを整理してみると
あたしこそあんま面白くないなーっていう。。。
情緒って言い切りまやかしと思ってる時点でまったくエロくなくなるのですよ。
他人事のようになる。
自分の随想したら急にむなしくなった私です。
空気を読む人ほど無神経にみられることがある話。
お久しぶりです。
突然ですが、プロレスってすきですか。
私はあまり好きではないしみません。ただ周囲にプロレスがすきなひとと極端に嫌いな人がいるためなんとなく自分の立ち位置としてやっぱりぼんやりとどっちでもない位置を維持してます。
「あんなインチキみたくない」
とか
「みんな本気で戦ってるのに」
とか、私としては両方とも「ああなんか、楽しんでますねぇ」なのです。
手品においても同じことがいえる。
「詐欺ジャン」
とか
「やってみんなをあっといわせたい」
とか
「超能力だ!!」
とか。
全部ひっくるめて「楽しんでるねぇ」っていう
私にとって手品を超能力だと言い張る人も、プロレスで悪役をしている人も
本当はすごく私っぽかったりするのかなーと思います。
私はものすごく数学が好きだったりするのだけど
自分の知識をひけらかすこともなければ、数学を万能だともおもってないです。
科学もすべて万能じゃない。
予測の域を出ないし、結局は人間つけた記号と経験からくる公式に従い100に近い確率を割り出しつつ歩み寄ってるだけで万能になるはずがない。
私ね。そんな不確かな世界でわかりやすくも悪役を買って出る人こそ自分の役割を熟知しているのではないかとおもうのです。
悪役ではなくばかとかあほとかもこの類に時折分類されたりして。
取り留めもないことを考えたりした週末です。
dreams come true とか beatles とか。
beatlesのストロベリーフィールズフォーエバーを聞いたとき、なんでこんな途中で曲調変えちゃうんだかっこいいなと思った中学生時代
自分の心の動きとか、これからの人生とか、もっともっと単純に考えていたのだなーとざっくり思うようになりました。最近。
ストロベリーフィールズフォーエバーの歌詞はわからないまま聞いていたし、背景なんてどうでもよかったんだけど、ものすごい曲調が変わる点にびっくりして(曲が違うのかなと思った最初)結局それを当てはめるような映像が思い浮かんでこないという気持ち悪さがあったりして。かっこいいで片づけてたのはたぶんよく言えばわかさ。
悪く言えば幼さと強がり。ようするに頭で映像にすることができなかった曲。
この間、なんとなくテレビをつけたら「フラワーズ」という映画がやっていてぼんやり途中からみてしまった。
その主題歌のdreams comes true 「ねぇ」を聞いたとき。ああ、そうそう曲調が変わる感じは曲を人間ドラマにあてるとしっくりきちゃうんだよなぁって納得。
ストロベリーフォーエバー聞くと感じる「一筋縄でいかない」かんじもまた、人間ドラマにしっくり来たりする。
「どのポケットも、思い出でいっぱいの。
その服をもう脱いでみようよ。
どの思い出も、あなたの愛と一緒だから大丈夫」
なんて歌詞だけかくと薄っぺらいんだろう(笑)
すみません。ひどいこといってます。
この歌詞を曲にのせ前後関係と切り離しつつ一本の線で結んだときがっしりとらえた自分の中の曖昧模糊さんが「なるほど!!」と納得させるような。
霧が晴れるような。
あー・・・うまいんだなぁ表現が・・・。っていう。
人生のつらいときとか楽しい時を切り取った音楽ではなく、這い上がる音ってこうなっちゃう。
転落もそう。
「フラワーズ」とは別にwowwowドラマで「私という運命について」というのもみたのだけどやはりこの「ねぇ」をあてたらものすごくしっくりくるんだろうなぁとか。
http://dreamscometrue.com/FLOWERS/special/
7月末日まで、公式で最後まで聞けます。
自分が前に進めないときそっと背中を押してくれる人は、
「たいしたことないよ」と笑ってくれるひとであり
本当はこころから「よくわからないけど前に進もう」と言ってくれる人なのだとおもったりして。
曲調を変えてしまうほど踏ん張って前を見てる人のほうが私は平気な顔している人より好きだなと思ったり。ドビュッシーにおける「月」の旋律にもちょっと感じるけど絶妙なズレみたいなところに美しさを感じたりして。
人間らしい音楽みたいなことを思ったりして。たとえうまく書けてなくても書いときたくて
かくとこないからここに書いてみたわけです。
お粗末様です。
変な時間に眠る
最近忙しいので、休憩できる時間さえあればすぐに寝る。
体調が少しでも悪ければすぐに寝る。
今日は早めにご飯をたべ(お弁当で済ませ)ともかくほんとすぐに寝た。
七時にねた。
22時に起きてしまった。
明日五時おきなのにね。
さて七夕です。
自分の欠点の一つに中途半端な記憶力というのがある。
本当に中途半端で、いやなこと含めてつらつらと思い出せるので行動をいつも遅れる。
今日もよい思い出や悪い思い出をたくさん思い出した。
七夕は、歴代の彼氏と過ごしたよい思い出のほうが多い。
10代のころは、スーパーの笹に彼氏と願い事を書いた。
それが、毎年の約束事みたいになったなぁとか。
一緒に何年かすんだ彼氏とは七夕の日に私が浴衣を着てササを飾って家で帰りを待ったことがあったなぁとか。
わずかな期間付き合った人は中距離で仕事が忙しくなかなか会えなかったため七夕に来たメールがむちゃくちゃ面白くてほぼそれがきっかけで付き合っちゃったなーとか。
メールには、「七夕が天気がいいなんて彦星に嫉妬するよ。きっとアロハシャツ来て乙姫待ってんじゃないかな。すっげーむかつく!!俺なんか今日仕事で残業でキミにも会えない!!あと暑い・・・。この町は何もないしともかく熱い。。。」
みたいなこと書いてあった。
彦星アロハ!!
そういうセンスのメールに弱く、コロリと騙される。
でも全部たぶんよい思い出なのだと思う。
で、今年は彼氏から電話あったけど
寝てたー・・・。
ぐっすり寝てたー。。。熱出して寝てたー。。。
友達がブロガー
近しい人がブログを始めたので何かできることはないかなと思って自分も始めてみたブログ。過去の経験から、近しい人とのブログコメントやり取りは非常に面倒なことになる要素があるので自分はその人に秘密というより黙ってはじめて見ることにした。
でも、読者って大事だねぇ。全然続ける気が起きない。読む人いないと。
さて、他はどうしているのかと考えを巡らせたらああそういえばと思い出したことがあるのでかいとこうかなぁ。
私、好きなエッセイストがいるのだけど(エッセイストなのかどうかはわからない。ともかく面白いブログ書いてる人)好きすぎてその人に関連したというより、その人と付き合いのある人の漫画とか文章とかを見たりしててね。でもそれがちっとも魅力的じゃない。多いんだなこういうことが。
うん、主題から外れたようみえるけどUピンカーブで戻します。こうご期待。
そもそもどうやってそういう情報を得たかといえばその人のtwitter。フォローとかお気に入りとか。うん。ほぼtwitterのせいなんだよ。
こんなことしてるのは自分だけなのかなと思って知り合いのtwitterをこっそり見ると結構いるんだよね。好きな人の系統でいつの間にか好きになってフォローしちゃってる人。幸い自分はtwitterアカウントというアイデンティティ持ってないから、人の見て感じるだけだけど発信している自覚なく何となくやっている人はもろに洗脳レベルになるほどにまである系統にだけ固執したラインナップになっていたりするフォローリスト。
で指摘するとその人がこういうことがある。
「一貫して好きなものしかフォローしてないよ。自分の考えだから」
自分的行動分析で恐縮なんだけど、気が付いてるだろうかこういう人が自分がどういう経緯でそれをしているか。
簡単にいうと浅いところでリツイートにやられてるだけってこと。
広告も宗教もそうなんだけど、似通ったことをうまく別の人の口からいうことって催眠みたいに自分の無意識にアクセスしてくるのですよ。
これは誰でもひっかかる。
「これかわいい」をその人の彼氏に言わせる。
「近所でなにがしさんがかわいいっていってた」を親に言わせる。
「かわいいかも!!!」
なんてわかりやすい。この程度なら「私ミーハーだしね」で済むしそう見られている人は安全圏にいる。
女の人ならわかるだろうが「あたし彼氏できると彼氏の言いなりになっちゃって服も変わっちゃうんだー」って言ってるやつはいい。
「は?もともとこれすきだったし」ってやつがやばいこと。
要するに怖いのは「そんなもの自分には通用しない」と思ってしまっている人。
病認識のない病人は自分も他人も傷つける。ときにね。
自分にもあることだけど自分を攻撃してくる最大の敵は自分で、反省や過去は時に命を奪いに来る。
「そんなもの通用しない」と「自分」を過信しているせいで些細な自分の変化に気が付かない。この「そんなもの通用しない」人の周囲に友人がいなければどんどんドツボにはまっていくと思うのだよね。もうやばいくらい頭の中が一系統になった状態で気が付いたらとんでもないことになってたっていう事例は多くある。過去にも現在にもある。
私が、趣味でオウム真理教とか海外の集団自殺についての記事を読むとでてくる「はまってしまうエリート」の感じがそう。あと「あさま山荘」ね。
よくどうしてエリートがこんなことになるのかというけど、「自己への過信」というと答えると即「なんだそれ」といわれる。あれなんなんだろう。定型句ですかね。。。
これ教訓でもなんでもない。数式にでもしてみようかしらというくらい明らかに死角があるのだけど過去の経験がそれを邪魔してみれなかったりする。
話を戻してtwittter顧みればわかるけど、フォローリストが他人に見えることから忠誠心を目に見える形に表すことになったりもしている。ヒエラルキーを作っているのだよ。。。
それが拍車をかけるんだよね。「ファンとか言ってるけどフォローしてないじゃん」の引き金に「フォローありがとう」がある。フォローありがとうっていうコメントみて私は内心「何言ってんだこいつ」と思ったりしている。
「どうせフォロワー少ないし」とかも、ばかじゃねーのこいつと商用でなければ思っている。さておき
カギ付きになんかしたらもっと危ない。完全宗教。
お金払ってないしということなかれ、実は媒介物がないほうが心の浸食って恐ろしい。おぞましい。おどろおどろしい。
さて、発信している自覚のある人はフォロワーにまで気を遣ったりする。見えているからどう見られているかをデザインしていたりする。ライターとか文筆業とかはもちろんアイドルだのなんだのもできる人はやっている。
だからフォローしている中には当然「面白くない人」いるんだと思う。
嫌いな人や表面的に仲の良い人もいるのだと思う。
アクセサリーだもん。
自分の友達のtwitterを何件かみているが、発信している自覚がない人に多く見られるこの洗脳メカニズムにちょっとした狂気を感じたりする。
人はみんなうなずいてくれる人がほしい。好きでいてくれる人で回りを埋めたい。
趣味でやっているのだからいいじゃないかと思ってしまいがちだ。
しかし少しずつ浸食してくるその狂気に気が付きコントロールできている人は非常に少ない。たぶんプロとアマの線引きの難しい業界ではコントロールしきれない人でも生業としている表現者はいるんじゃないかな。お金を稼げている人で線引きすればそんなん関係ないし。
昨今、炎上で閉鎖するアカウントが多いと聞くが閉鎖だけで済めばよいがと考えを巡らせることがありこの考えをぐるぐると終わりなく巡らせるに至った。
人はとても弱い。
結局、読者は自分だけでよいなぁと思いつつリアルでは自己反省的な部分も含めちゃんとにブログだ言っていることを時々話し、顔を見て反応を聞くのがベストな気がしています。
じゃあなんでブログに書くの?っていわれれば、時々口ずさむ鼻歌と同じで「ああ、きぶんよさそうだなぁ」っていう薄いコミットを一応しとこかな程度のことです。
夢日記
6/19
ベットの足元に誰かがいるような気がして、目を閉じたままかっている猫の名を呼んだ。枕元にいる猫がむにゃむにゃと口を鳴らすと伸びをしたので私の額に手が当たる。
足元の気配はやむことがなく、目を閉じたままねむそうな猫を胸元まで抱き寄せ頭をなでる。
思い切って目を開けてみようか・・・。
猫を抱いていれば、何か大丈夫だという気になり心で「せーの」と小さな声で勢いづけ、猫を抱いたままがばっと起き足元に目をやった。
すると、そこはベットではなく小高い崖に位置する草原で背後には波が岩に打ち付ける音がしていた。
目前には初夏を迎えた青々と凛々しい山が連なり、背後の崖には何本かの立派な木が生えているようで私の座っている位置にはその木々の影が見えた。
自分が、ボタンを繕うのをさぼっていたパジャマを着ていることを恥ずかしく思い木の陰に隠れ「どうか人が来ないように」と外をうかがうと子供たちがはしゃぎながら数人こちらにむかって走ってくる声が聞こえた。
私は崖側に体をひそめ子供たちの様子をうかがった。
猫が暴れるのをなだめ、ぎゅうっと猫の頭を押さえて「シーッ」と声をかける。
足元には崖があり、さっきとは真逆にそこには影などなくジリジリと太陽が照り付けていた。
気が付くと照りつける太陽でパジャマが焦げて背中の部分が破けてしまっていた。
私は猫を抱いたまま体をぎゅっと丸め子供たちが去るのを待ちながら体を隠すものを周囲に捜した。
もうぱじゃまの上着は全くなくなってしまい子供たちの目を盗み全速力で山のふもとへ向かう。
山のふもとには、真っ赤な鳥居の向こうに長い階段がありはだしの私にはごつごつとして歩くのには困難な小石がたくさん転がっていた。
幸い人影はなかったので鳥の横の茂みに身を隠すと少し一休みをした。
あたりが暗くなり肌寒さを感じるころ、ベットの足元に感じた気配と同じものをまた茂みの背後に感じた。ベットのことを思い出すと
ああそうだ。私は夢の中にいるんだ。と半ば冷静に自分を納得させることができた。
瞳を閉じて、もう一度目を開けた。
残念ながら同じ景色が広がり夢から覚められない。
「夢だ!!夢なんだよ!!」
そう声にすると、後ろの気配がぬっと近寄りあたりを少し寒くさせた。
何度かそれを繰り返し目が覚めた。
口がカラカラに渇き、隣でスヤスヤと猫は眠っていた